【二宮金次郎】偉人からヒントを得る

ヒカリ
今回は「二宮金次郎」からヒントを得るよ〜

二宮金次郎の概要

今はあまり見かけませんが、古い小学校のほとんどに「二宮金次郎」の銅像は置かれていました。でもこの二宮金次郎が何をした人物か知る人は、あまり多くありません。

二宮金次郎の本名は「二宮尊徳」と言います。農家生まれで14歳で父親を失い、すごく貧乏だったため、金次郎は勉強をしながらも働いていました。

薪を山に取りに行く道中も、薪を取りおわり帰る道中も、常に本を読んで勉強しました。

勉強に対する執念がすごく、まさに絵に描いたような優等生が二宮金次郎だったのです。ちなみに二宮金次郎の銅像は、この時の「薪を背負って歩きながら勉強する姿」を表したものだそうです。

大人になった金次郎は、幅広い「知識」と「知恵」を活かして、各地の貧しい農村を復興して回りました。その復興は69歳で亡くなるまで一生をかけて行われました。

二宮金次郎からヒントを得る

復興して回っていた金次郎を快く思わない人もいました。前例主義で「現状」を変えたくない人たちです。そういう人たちが金次郎の悪口を広めました。その悪口を信じた人たちは非協力的となり、金次郎の復興に対して反対するようになりました。

遅れる復興や自分に反対する人たちの声に耐えきれなくなった金次郎は、農村から逃げ出してしまったことがありました。一度逃げ出した金次郎は21日間にも及ぶ「断食」を行い、自分と向き合う修行をしました。

「敵と味方」本来そんなものは存在せず、全ては自分の心が作り出している。全ては自分次第なのだ。こうして強い心を手に入れた金次郎は農村に戻り、自分に反対する人たちにも「ふつう」に接しました。そんな金次郎と話すことで金次郎に反対していた人たちは、自分たちのことが恥ずかしくなり、金次郎の邪魔をする人はいなくなりました。

このように問題から一度逃げ出したとしても、問題を解決する方法を自分で考えて、実際にそれを成し遂げようとする責任感は本当に見習うべき点です。

まとめ

  • 二宮金次郎は少年のころ、仕事をしながら勉強をしていた
  • 大人になった金次郎は各地の貧しい農村を復興して回った
  • 金次郎は一度逃げ出し、強い心を手に入れて帰ってきた