
与謝野晶子の概要
明治時代、今から100年以上前のこの時代は現代と違い、男性は外で働き、女性は家を守るのが当たり前。まさに男尊女卑という言葉がふさわしく、女性は自分の気持ちを大っぴらに語ることが許されない時代でした。
そんな時代に一人の女性、与謝野晶子がいました。晶子は短い言葉で、深い心の内を表し人々を魅了する「歌人」という仕事をしていました。現代の「インフルエンサー」という職業の原形になるものです。
晶子の歌を一つ紹介します。
題:【君死にたまふことなかれ】
あ、おとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけは勝りしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへ視野 人を殺して死ねよとて 二十四までををそだてしや
与謝野晶子
(戦争に行ってしまった弟、どうか死なないでください。末っ子のあなたは親の愛をたっぷりと受けて育ちましたね。24歳になるまでに教わった中に、人を殺して自分も死ね、そんな教えはあったでしょうか?)
大切な人を戦争によって亡くした人なら誰もが感じる悲しみとやりきれなさが、見事に言語化された歌であり、まさに現代の「インフルエンサー」と同じ職ですね。
与謝野晶子からヒントを得る
先ほど紹介した【君死にたまふことなかれ】は雑誌に掲載され、大きな反響を受けました。
「こんなの歌は日本人の歌じゃない!」
「裏切り者!」
「犯罪者として罰を与えよ!」
うん、見事に批判中傷ばかりでした。この歌を発表したことで晶子は日本中から責められ、犯罪者扱いを受けてしまいました。この頃の日本はロシアと戦争中で、「この戦争に勝てば世界中から「立派な国」と認めてもらえるため、皆で絶対に勝とう!」という価値観が当たり前の時代でした。今考えると完全にクレイジーですよね。
でも晶子は負けません。強靭な精神力で批判中傷にこう言い返しました。
「戦争で死ねということ。それが教育だから当たり前ように言うこと。そのような考えの方がよっぽど危険です。」
この言葉は、「戦争は正しい」と信じている人の心にも刺さりました。
晶子姉さん、その通りです。これは現代でも通じることですが、誰かの言うことを信じ、自分の頭で考えることができず、「思考停止」に陥る人が多すぎる。
晶子の正直な言葉は一度は「炎上」しましたが、臆することなく正直な気持ちを言い返したことで、人々から認められ一躍有名になりました。
まとめ
- 「歌人」という仕事をしていた
- 嘘をつけず「炎上」した
- 自分の気持ちに常に正直でいることで成功した